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勉強したことで感じられるようになったのは、社会の縮図が、幼稚園にもあるということ

  • 教育学科

水野真紀 Maki Mizuno

2021年度卒業

私にとって、聖心女子大学は進学したい大学のひとつでした。でも、仕事の都合もあり短大に進学。短大でも素晴らしい出会いや学びがありました。ただ、歳を重ねるにつれ「やってみたかったことをやらずに後悔したくない」という思いが芽生え、聖心へ編入しました。

教育学と教職課程の両立のため、週6日大学へ通ったことも

教育学専攻を選んだのは、子育ての中で、環境も含め教育はとても大事で、人間が生きるうえでのキーワードだと感じたからです。それは、“なぜ私はここに至ったのか”と、自分をもう一度見つめ直すことでもあったと思います。教諭免許を取ろうとは思っていませんでしたが、ちょうど同じ年の学友が、「幼稚園の先生の免許を取るためにここ(聖心)に来ました」とおっしゃって。その方とお話ししているうちに、教諭の免許を持っていたほうができることが増えるはずだと思い直しました。
それからは自分の専攻科目に加えて、教職に必要な単位を取るために、週6日間通学したり、1限から5限まで学校にいたりしましたね。第二外国語は、30年ぶりくらいにフランス語に取り組んで、セリフのようにフランス語を覚えました。教育学を学んでいておもしろいと思ったのは、心理学や哲学に比べ、教育学は歴史の浅い学問だとわかったことでした。また比較教育学は世界を見ることもできますし、教育心理学、教育社会学などは、いろいろなジャンルの学問と重なる部分が多いことがわかって、教育学を選択したことで社会全体を見られたというか、いろいろなアンテナを立てることができたと感じています。人生100年時代という中で、見えてくるもの、わかってくるものが増えて、先の人生が楽しくなりましたね。「ああ、こういうこと、学校で習ったな」と、いろいろなところで発見がありそうです。

実習で通った園でのボランティア。社会の縮図が幼稚園に

実習でお世話になった幼稚園へは今でも週に1回のペースで9時から午後3時くらいまでボランティアで伺っています。 ボランティアといっても、現場で得ることはいっぱいありますし、私が学ばせていただいているという思いです。
4週間の実習中は本当にハードでした。睡眠時間は毎日3時間くらいだったんじゃないでしょうか。 幼稚園では子どもたちの姿?会話から、社会が見えますね。発達に課題のある子たちとの触れ合いもありますし、保護者の世界を垣間見ることもできる。社会の縮図が実は幼稚園にもあるということを、大学で学んだことによってより感じられているように思います。実習では、年少クラス(3~4歳児)でのお手伝いが中心でしたが、今年度は造形活動の補助をしています。この間は、はさみをやりました。はさみを使う前に担任の先生が使い方をお話しするのですが、自分でどんどんやりたがる子は当然いて「ああっ、一気に切っちゃいけない―」(笑)と思いながらも、自分でやると言う子にどこまで手を貸すべきかなど、そのあたりは非常に難しい。子どもの主体性は、こうやって手を動かすことで伸びていくのだろうなと思いながらも、悩みます。何が正しいかはないと思うのですよ。例えば子どもたちがスプーンとフォークやお箸を持つときも、「この持ち方のほうが、今のこの子に合うのかな、将来どちらの持ち方が有効かな」とか、手首の動きひとつも、子どもの手をじっと見ちゃったりしますね。お箸はこういう動きのほうがいい。でも、はさみの動きはこうだから…とかね。子どもの手ってすごく大事だなと思います。
年少児っていろいろなことが起こる時期ですよね。4月には自分の不安な気持ちでいっぱいいっぱいで、ほかの子に興味がなかった子どもたちが、園で行事を重ねていくにつれてだんだん関わり合いが生まれていくのを見ると、本当にこの時期は大事だなと思います。

卒論のテーマは絵本

幼児教育の5領域のなかの「言葉」の授業で、「絵本は言語の取得に非常に有効である」という話を聞いて、とても同感したんです。
でも、だんだん、「それだけじゃない、ひとつのコミュニケーションツールなのではないかな」という思いが浮かんできて、〈コミュニケーションツールとしての絵本〉を探求しようと卒論のテーマに選びました。
また、水島先生の授業では、言葉のない絵本を制作しました。絵を見て広がる想像や、絵と絵をどうつなげていくかなど、絵本を作るのは楽しい刺激があるだろうなと思いまして。でも、絵本作りの作業は徹夜でした。
作るのは全部自分じゃないですか。だから、自分が「いいよ」と思わない限り、終わりがない気がするのです。
卒論発表ではひとりの学生が、「上手だねと子どもに言うのは、決してプラスなことではない」とおっしゃっていましたね。私も、「上手だね」とか「うまいね」とかは、子どもたちに言わないようにしています。
「上手ね」ではなく、「なんだかすごくいいね」とか、「こういうのもあるよね」など、同化するというか寄り添うというか、シンパシーを伝える方向にしています。「上手ね、うまいね」という言葉は、「あ、こういうのをやればいいんだ」と子どもに思わせ、主体性を失わせてしまう。自分の目でものを見ること、観察力を失わせてしまいます。

子どもが育つ糧の一部になれたら

これからも今の園のボランティアは続けていくつもりです。子どもたちが自信を持った瞬間や、ぱっと笑顔になるときの表情はたとえようもないものです。子どもたちのちょっと不安な気持ちが消えたり、自己肯定感が生まれたりすることのお手伝いができたらと思っています。 
ずいぶん先の構想ですが、それこそお母さんたちが残業で遅くなるようなときに、「じゃ、うちで絵本でも読ませますよ」とか、「簡単なご飯作りをおばあちゃんとしましょうか」などと言えるような、そんな近所のおばあちゃんになるのもアリかなと考えています。
そんな関わりにどれだけニーズがあるかわからないですが、子どもが育つ糧の一部になれたら、という気持ちがあります。
独りよがりになってはいけませんが、私がなんらかの形で関わることで、先生たちがちょっと楽になって、その結果、子どもたちに何かよいことがもたらされればうれしいですね。
また、お手伝いさせていただくことは、明らかに私の学びのひとつになっています。

  • 教育学科
水野真紀 Maki Mizuno
2021年度卒業
公益財団法人美育文化協会発行『美育文化ポケット』34号より抜粋
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